その12(長與 → 篠原)
篠原さん
◆1月14日付けのメールいただきました。テレビ・ドキュメンタリー「スロヴァキア、最後のチャンス」には、おおいに食指をそそられます。前編とともにいずれぜひ観賞したいものです。善くも悪しくも映像の持つ力は活字の比ではありませんが、まがりなりにも自分が同時代的にフォローした一連の出来事が、どのように「編集」されているか、やはり興味津々だからです。メチアルを「悪魔化」していないそうですが、まあまっとうな態度と言うべきですね。いうまでもなく自分を正当化するもっとも手軽な手段は、相手を悪魔化することですから。「私は正しい」ことを証明するより、「おまえはまちがっている」と言い募るほうがはるかに簡単ですからね。でもこのタイトル、ちょっとひっかかるなあ。なにがスロヴァキアにとって「最後のチャンス」 だったと言いたいのかな。
* 注 ―― ハヴェルがスロヴァキアの旗をロシアのと誤認したというエピソードは、これはおっしゃるとおり「マユツバ」ものだと思います。白青赤のスロヴァキアの旗が街頭に持ちさ出されたのは1989年11月のデモのなかのことで、正式にスロヴァキア共和国の国旗と認定されたのは1990年3月ですが、この時期にはそれがロシアの民族旗でもあることは、ごく一部の「好事家」しか知らなかったはずで、それが一挙に有名になるのは、モスクワにおける1991年8月クーデターとその破綻の時期のことです。ですから「世間知らず」のハヴェルが、おそらく1990年春のブラチスラヴァの街頭デモでスロヴァキアの旗がふられるのを見て、それをロシアの旗と認識できたとはとても思えません。
◆映像と言えば、最近当地で、第二次大戦中に独立スロヴァキア国で作られたプロパガンダ映画 Svorne napred (団結して前へ) を見る機会がありました。* 1944年に独立スロヴァキア国成立5周年を記念して作られた30分ほどの短編映画ですが、国外に持ち出されたコピーが、第二次大戦後にナショナル派組織の在米スロヴァキア人同盟 Slovenska liga v Amerike の (おそらく)内部観賞資料として使われていたのが、オタワ大学のスロヴァキア講座に寄贈されて、それが大学図書館の映像資料として保管されているのです。ぼくは去年にすでに一度観賞していますが、今回はストラーリク氏のほかにさらに在オタワのスロヴァキア大使館員2人とと一緒に観賞する機会を得ました(大使館が計画しているスロヴァキア映画フェスチバルの準備作業の一環のようです)。
* 注ーこのタイトルは、独立スロヴァキア国の国是である Verni sebe svorne napred! (自らに忠実に団結して前へ) の後半部分に由来しています。
◆けっして高尚な趣味とは言えませんが、ぼくは政治プロパガンダ映画が嫌いではなく、第二次大戦中のドイツのニュース映画 Deutsche Wochenschau (でしたか?)とか、日本の戦時中の記録映画なども何本か見たことがありますが、それと比較するとじつに興味深い。この映画が製作されたのは1944年春のはずで、もうその頃はドイツ軍の旗色もかなり悪くなっていて、その年の夏にはあの「スロヴァキア民族蜂起」なども起こるのですが、映画のトーンは意気軒昂なものです(プロパガンダ映画なんですからあたりまえですが)。景気のよい行進曲のバックミュージック、2オクターヴぐらい甲高いナレーターの叫ぶような口調は、ドイツや日本のそれと瓜二つです。
◆巻頭の歴史的パースペクティヴの部分では、1930年代のフリンカ人民党の盛り上がった集会風景 ―― 1933年のプリビナ祭とか、1938年6月だったかのピッツバーグ協定20周年記念集会など ―― にはじまり、1938年10月のスロヴァキア自治政府成立でいったん 「めでたしめでたし」になったものの、1939年3月にふたたび 「暗雲」がたれこめ、ブラチスラヴァの街頭でのCS の憲兵 (?) たちとの小競り合い、銃を持った私服の男たち (フリンカ親衛隊か?)が物陰に隠れてなにかを窺うシーン、そして (いきなり)3月14日に議会で独立が宣言されて、山上に高々とあがるスロヴァキア国旗・・・ このあたりの展開はプロパガンダの定石どおりで、「極端に一面的な解釈」とわかってはいても、やはり胸にジーンとくるものがあります (おいおい!?)。
◆画面に出てくるスロヴァキア政治家たちのなかでは、やはりヨゼフ・ティソが主役扱い、1939年10月の彼の大統領就任の様子や、地方の「現地視察」の模様が出てきます。社会主義時代には彼もおおいに 「悪魔化」 されていましたが (彼がいかにも 「教権ファシスト」っぽい風貌をしていることは認めなければなりませんが)、この映画のなかでは、自分の地盤であるバンスカー・ビストリツァ付近をまわるメチアルと近似の雰囲気をふりまいています。ほかにはヴォイチェフ・トゥカ、フェルジナント・ジュルチャンスキー、ヨゼフ・キルシバウム、ティド・ガシパルなどの姿をちらりと認めることができます。
◆この映画を見ていて奇異な感じがするのは、ドイツのプレゼンスがまったく表に出てこないことです。独立スロヴァキア国と諸外国の外交関係樹立のシーンで扱われるのは、イタリア、ブルガリア王国(ボリス国王とティソが親しげに散歩する様子)、独立クロアチア国の代表が外交信任状を提出するところ、ブダペシュトの王宮 (たぶん)をスロヴァキア外交代表が訪問するところ、などで、かんじんのわが第三ドイツ帝国のことがまったく出て来ない。いかにも不自然な扱いですが、これは映画製作者が、ことさらスロヴァキアの外交的な自立性をアピールするために、意図的に落としたと解釈するのが妥当なのかもしれません。それにしてもドイツ側が見たら奇異に思うはずで、あるいはドイツ向けには別のバージョンが作られたのかもしれません。いずれにせよ不可解なことです。
◆全体としては「国家建設」の面に比重が置かれていて、比較的ソフトな展開ですが(ストラーリク氏は、これはもちろんプロパガンダ映画だが、アグレッシヴなそれではないとコメントしていました)、最後はやはりちらりと「牙を剥いて」、「東方の対ボリシェヴキ戦線で善戦する」スロヴァキア軍の戦闘風景や勲章授与風景が出てきます。とくにロストフの戦闘で功績があったとか。ここでどうしても気になるのは、第二次大戦後にアメリカ国内で上映された時に、観客がこのシーンにどのように反応したかということ。
◆北米大陸では第二次大戦については、「絶対悪としてのファシズムとの闘い」という解釈 (悪魔化!)が浸透していますから、いくら相手が憎いボリシェヴィキだったとはいえ、ナチス・ドイツの同盟軍としての過去は「致命傷」に近いと思われるます。ひょっとしてこの映画は、戦後に再編集、ないしは部分的にカットされているのではないかとストラーリクに訊ねてみましたが、彼はオリジナルのままだろうという意見でした(でも巻頭に在米スロヴァキア人連盟云々のテロップが出てきますから、再編集の可能性は捨てきれません)。おそらくこの映画は、ナショナル派組織の内部観賞資料として扱われて、メンバーでない非スロヴァキア人には公開されなかったのではないかと推察しています。
◆もうひとつこの映画を見ていて面白かったのは、同席したスロヴァキア大使館員たちの反応です。彼らに言わせれば「現在のスロヴァキア共和国を、どのようなかたちであれ第二次大戦中の独立スロヴァキア国と結び付けるのは、外交的に見て絶対に避けなければならない」とか。まあ外交勤務にある者としてはまことにもっともな意見と言うべきでしょう。もっともこの判断が、ヒューマニズムとか反ファシズムとかの理念からではなく、「外交的にマズイ」というプラグマティズムから発している点は押さえておく必要がありますが。
◆彼らがなによりも印象的だったと漏らしたのは(ぼくもまったく同感ですが)、プロパガンダの形式も映像も、1940年代末から50年代はじめのコミュニスト時代のそれとまったく瓜二つだったこと(もっとも彼らもコミュニストのプロパガンダは、例のドゥシャン・ハナークの『ペーパーヘッド』で見ただけのようでしたが)。シャベルをふるうたくましく健康そうな労働者、次々に建設される近代的な工場、住宅、新たな鉄道路線の開通式、畑の借り入れ風景、サッカーなどのスポーツ風景、そして歌と踊りのフォークロア etc. etc. なんとまあよく似ていることか。ときどき出てくるシンボルマークを取り替えさえすれば、完全に互換可能です。
◆あえて違いをあげつらえば、独立スロヴァキア国のフィルムではおそらく意図的に「アーリア系(北方ヨーロッパ系)」の風貌をした人びとを選んで写しているような感じがしたこと (とくに女性の場合) 。いっぽうコミュミストのプロパガンダでは、「いかにもプロレタリアート風」ないしは「スラヴ的容貌」が好まれていたように思われます。もっともこの点は、ぼくの私的な思い込みにすぎないかもしれません。
◆この手の映画を見ていると、最後には「やがて悲しき・・・」の気分に襲われます。歴史に翻弄される政治、政治に翻弄される映像、その映像に翻弄される自分の姿が見えてきて、「ほんとに全体主義と共産主義のプロパガンダは瓜二つですねえ」などとしたり顔で論評を試みるものの、後味はけっして良いとはいえません。
◆またしてもヒマにまかせて書き散らしてしまいました。ざっと流し読みしていただければ、それでじゅうぶんな内容です。近日中に、こんどはもう少し「学問的」なことを書くことにしましょう。ともあれ楽しく充実した「プラハ幽閉」の日々をお過ごしください。在オタワ 長與 拝