その3 (1999年9月29日 篠原 → 長與)
長與さん、
お元気ですか。プラハもようやく秋らしくなってきました。チェコ語で zari というように、今日、おとといは、空の色が地上の何ものにも映えて、輝くばかりでした。陽光が差しても、もう夏の気配は消え去ったようです。このところは、雨が降る、晴れる、雨が降る、と一日ごとです。ぼくは秋の色を誉めますが、チェコ人は、どの人も、今日は美しい日だな、のあとに、必ず、「そろそろキノコ狩りの季節だ」とつなげます。これはぼくらにはあまりなじみのない挨拶ですね。
先々週から、チェコテレビ1で、1970年代の初頭につくられた「ゼマン大尉の30の物語」というシリーズの再放送が始まりました。これはちょっとしたスキャンダルになっていて、ぼくも最近、新聞やニュースを系統立てて追跡していないので、確かなところはわかりませんが、議会の放送倫理委員会なんていうところでも取り上げられて、放送局をめぐるちょっとした権力闘争になっています。「ゼマン大尉」をご存知ですか。一種のミステリーで、当時はどうも大人気だったようですが、かなり露骨な政治宣伝のドラマでもあります。ぼくにはアメリカの「逃亡者」とか、日本の「七人の刑事」とか、時代はちょっとずれますが、そういう大時代な番組のタッチがただ面白いのですが(「共産圏」といっても、映像文化にかんしては、もうずいぶん前から時代が共有されているという印象です)、新聞の投書や意見欄を見ても、たいそう感情を傷つけられる、あるいは、傷つけられると訴える人が多いのには驚かされます。ましてや、政治スキャンダルになるとは・・・。テレビのほうでは、毎回ドラマが終わると、それを相対化するようなドキュメンタリや討論番組が同じだけの時間放映されます。ぼくが見たのは第一回で、戦後、強制収容所から帰ったゼマン大尉が、自分をナチに売り、抵抗運動の指導者だった父を殺した犯人を捕まえて、秘密警察に抜擢されるお話でした。その後のドキュメンタリは、戦争中の対敵協力者と戦後の秘密警察の構成員がいかに連続している場合が多かったか、というのを、3人の具体的な人物の戦争中と戦後を追うことで構成していました。三つの例を実名で検討していたのは、あとから考えるとちょっと過激です。
少々駄弁を弄しました。
琢拝