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   その4 (1999年9月30日 長與 → 篠原)

篠原さん

◆9月29日付けのメール拝見しました。「カピタン・ゼマン」の話はとても面白く読みました (ところで Kapitan は、ゼマン氏が警察関係の人なら「大尉」ではなく「警部」と訳すべきではありませんか?)。ぼくはこのシリーズは見たことはありませんが、ようするにCS版刑事物語といったところでしょうか。「強制収容所帰り」「抵抗運動」「秘密警察」など、ご時世に合わせた味付けをしているようですが、つまるところは心理的に「体制 = 正義」にぴったりと寄り添って、その枠内でスリルとサスペンスとアクションを楽しむ「大衆娯楽物」のようですね。むきになって抗議したり、「対敵協力者が戦後の秘密警察につながっている」とマジメに解説するほどのことはないように思います。でも本当をいうと、ぼくはこういう「政治的な」設定は嫌いではないので(カピタン・ゼマンは共産党員という設定ですか、それとも無党派の反ファシスト?、彼の父親を殺した犯人は逮捕されたあと、どうなるのですか。その場で銃殺? (革命的正義!)、それとも裁判にまわされる (ともかくも法治)?、いろいろ伺いたいことが出てきます)、チャンスがあったら観賞してみたいものだと思っています。ビデオ化されたものがあったら、ぜひ買っておいてください。

◆それにしても「対敵協力者(コラボラント)」という言葉には、怪しい魅力の響きがありますね。1939年当時はだれもが、数年後にナチスがあっさりとぽしゃってしまうと予測できたわけではありませんし、日々の生活は3月15日以後もさしたる変化もなく続いていったと思います。それに保護領時代にも (抵抗運動だけでなく)普通の刑事犯罪や汚職贈賄などの事件もたくさんあったにちがいなく、それを取り締まることも必要だったでしょう。なにが「対敵協力」なのか、どの線を越えたら「対敵協力」になるのか、白黒であっさり割り切るわけにはいかないと思います。それに関連して、チェコの現在の史学ではエミル・ハーハの評価はどうなっていますか。ヴライカ派や「ファシスト」ガイダなどの研究も進んでいるのでしょうか。ご存じのところをぜひご教示ください。(どうもスロヴァキア史をやっている人間には、「コラボラント」とか「ファシスト」にたいして過剰に理解を示そうとする傾向があるようですが、べつに他意はありません。気軽に読みとばしてください)。

◆オタワはいま急速に秋になだれ込んでいます。今日なども朝のうちはさほどのことはなかったのに、午後から急に冷たい北風が吹きまくって、気のはやい人はコートや厚手のジャケツを着こんで歩いています。かと思うと、あいかわらずTシャツ一枚でのし歩いている元気なのもいて、どうもいまいち季節感が定まりません。

◆今週の週末は紅葉とモーターボートと釣りを楽しみに、オタワから200キロほど北にある山間の湖に行く予定です。ここは行きつけでもう数回も通っています。前回は50センチほどのパイク (川カマス)を釣り上げました (オーパ!?)。「釣り?在外研究に行っているんじゃなかったの」と言われそうですが、まあ二匹目の川カマスをねらいがてら、ケベックの秋を満喫してきます。

長與 拝



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