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   その5 (篠原 → 長與)

   お返事どうもありがとうございます。

   先週の Tricet pripadu kapitana Zemana は、インシュリンの闇取引をゼマンが摘発するお話でした。「第三の男」のある種の「パクリ」であることは言をまちません。先日は報告しませんでしたが、このシリーズの面白いところは(名前は失念しましたが)、ある地方の小さな町が舞台であることです。闇取引の摘発のきっかけをつくるのは、この町の病院に勤める初老の医者なのですが、ゼマンが「何で、わざわざこんな町に?」と尋ねると、「そんなことを訊きたいかね。私は1945年2月の米軍の爆撃で娘も息子も妻もなくしてね、それでプラハをあとにしたんだ」、という場面が出てきます。

   本筋とは関係ない会話ですが、なかなか芸が細かいものです。お尋ねのゼマンの父親ですが、明らかに共産党系の抵抗運動にかかわっていたようです。密告者はもちろん、法の裁きにゆだねられました。この辺は、刑事ものの常套で、犯人は最初は容疑を否認するのですが、有無をいわさぬ証拠を突きつけられて、だって、仕方がなかったんだ(ナチの協力者ですからね)、と、無力な告白をいたします。詳しい話はこっちできこうか、というのが本筋の幕切れ。次の場面は、ゼマンが秘密警察に登用されるほほえましい場面です(ゼマン君、よく考えてみてくれたまえ、今日から君はぼくたちの仲間だ!)。先週の番組も、ゼマンが梯子段を登るミニスカートの女の子を見上げて、ふと顔を赤くする、という「ほほえましい」場面で終わりました。

   さて、先週は、カレル・カプランさんが大活躍でした。Tricet pripadu... に続いて放映されるドキュメンタリーは、Tricet navratu do minulosti という番組名で、「ゼマン、闇取引を摘発するの巻」に続くドキュメンタリーは、戦後、共産党や治安当局が闇市場、闇取引撲滅のキャンペーンを、大商業資本(百貨店など)からさらに進んで中小企業、職人(Maloremeslnici, Maloobchodnici)を敵視する宣伝にいかに効果的につなげていったか、というお話です。これはなかなかなるほど、と思わせる、ぼくは非常に質の高い番組だと思ったのですが、ただ、ゼマンの話につなげるには少々無理がありました。まあ、こういうドキュメンタリーに共通の欠点は、共産党が「いかにうまくやったか」というのを強調しすぎるところにあるような気がします。共産党の前では、すべての人々が、「無垢な子供」のように、いとも簡単に「手をひねられて」いきます。今回もそうではありましたが、ただ、戦後の「闇市場」や、闇成金にたいする「怒り」(きわめて「市民的」な)を、商人、職人の全般的な Likvidace へ導いていくキャンペーンは、物資が欠乏する戦後の社会で、時に野放図な「嫉妬」とか「うしろめたさ」(たいていは「闇」のお世話になっているでしょうし、「対敵協力」のオボエもあるでしょう)に支えられた「清潔な社会」、「公正な社会」への「正当な」要求を実に上手に使ったものであることがわかります。「総力戦後」、「動員解除」後、戦後、の状況の中に、「二月の大勝利」も位置付けなければいけないんでしょうね。

   どうもぼくは戦後の治安制度について、きちんと調べていないのですが、ゼマン「大尉」は軍服を着ていて、いわゆる SNB ではないようです。StBの将校といったところだと思うのですが、どうもよくわかりません。初回をちゃんと「鑑賞」していればはっきりしたと思います。

   コラボラントの問題については、また改めて書きます。ぼくがずっとお世話になっていた Kobylisy のおばあさんが、今年の春、87歳で亡くなりました。遺品の文箱のなかには、ヒトラーの50歳誕生記念の記念切手シートと、マサリク生誕80歳の記念プレートが重ねて納められていました。さすがにゴットワルトやスターリンはありませんでしたが、ぼくはそれは普通のことだっただろうと思います。たしか、占領中、ドイツの官吏を下宿させていたと言っていたような気もします。ただし、このおばあさんがごく普通だとして、すべての「普通の」人がコラボラントだったんだ、ということによって、問題を流そうとする人たちには、ある種の政治的な意図を感じます。この辺が、なかなか難しいところです。

   大きな川ますが釣果にあがったことをお祈りしつつ。

琢拝



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