[前へ] [次へ]


   その7 (篠原 → 長與)

   拝復

   お返事をするのにだいぶ、間があいてしまいました。申し訳ありません。一つには、せっかく当地に滞在しているのに、頭がぼうっとして、お便りに値するようなものを見出す感受性のようなものが鈍磨しているせいだろうと言い訳を申し上げます。

   さて、「ゼマン大尉」はあいかわらず快調に飛ばしております。メディアや議会でも依然としてスキャンダルじみた扱いを受けております。先週は、西ドイツ(西側連合軍占領地域)への密出国を受けおう組織を摘発する話でした。その後のドキュメンタリの方では、密出国組織だけでなく、チェコスロヴァキアの国境警備隊が、実際の国境より数キロ内側ににせの米軍検問所を作って、密出国者を根こそぎ摘発する「アクション」についても扱っていたそうです。残念ながら、ぼくはこのドキュメンタリは最初のほうしか見ていません。何でも、このにせの検問所では、英語が堪能な係官が、Welcome to the U.S.Zone などといいながら、密出国者を迎え、足取りその他について、実に Friendly にすべて聞き出したそうです。『Time』なんかが机にさりげなく置かれていた、というのですから、かなり芸が細かかったのでしょう。見なかったのは、実に残念なことでした。

   1945年の米英軍のプラハ爆撃、というのは、今で言う「誤爆」で、ヴルタヴァを見下ろす Emauzy の修道院 (Na Slovanech) が被害にあったことで知られています。エマウズィは、社会主義時代に帆船の帆のような屋根をつけて改築されました。プラハ市の建築物で第二次大戦の被害にあったのは、このエマウズィと旧市庁舎です。

   「ゼマン大尉」をめぐる議論は、正直のところ、ずいぶんくだらないなあ、と、やりすごしていたのですが、「その後10年」の社会を映す一段面としてもしかしたら興味深いんじゃなかろうか、と、思い始めています。メディアでは、「ゼマン」放映を批判する声が圧倒的です。なぜ、コミュニストのプロパガンダ・ドラマ、それも「秘密警察」の将校を主人公とする番組を「ゴールデンアワー」に、しかも30週にもわたって放映するのか、という反語的な態度が批判の基調でしょう。チェコテレビの方では、つい最近の過去を見直す機会に、という教科書的な答弁しか用意していないようですが、ぼくは、こうした批判者のメンタリティに対する反批判にことばが与えられていないことをもどかしく思います。チェコテレビも、集中砲火の中を「ゼマン」の放映を強行するのですから、何かしらの「覚悟」があるはずなのですが。批判者たちが言うように、まさかに視聴率かせぎ、とか、番組責任者がコミュニストの「事件物」に郷愁を感じる世代、とか、いうのが意固地になる原因ではないでしょう。「ゼマン」批判は、番組の質やら何やらをことあげすることを除けば、基本的には、コミュニストの過去、あるいは「秘密警察」の過去に対する批判が徹底していない、あるいは、それに対して非常にナイーヴだ、というところにあります。あなたは、あの番組が、どういう時代状況の中で作られたのか知っていますか、そして、公安・治安当局の注文で作られたいきさつを知っていますか、あなたたちは、「秘密警察」に苦しめられた人々に十分な配慮をしているのか、相互監視がふつうだったつい10年前の状況をもう忘れたのか・・・、まあこんなところでしょう。つまり否定されるべき、あるいは批判されるべき過去から、公共の電波で流すために、そのもっとも平凡月並み低俗お手軽で、しかももっとも悪質なものをひっぱりだしてきた、というわけです。ここにあるのは、89年を境にして、わたしたちは変わったはずだ、あるいは変わるべきだ、という願望でもあり当為でもあり強迫観念でもある命題です。

   「ゼマン」のみならず、「メイデイ」のパレードや、西側のヒットチャートを学校でテープにコピーした思い出、そのすべてが今日の30代の共通体験だったでしょう。むしろ、それらは、ある一定の状況に立ち至るまでは、ある種のキッチュとして消費されていたはずです。そうした「思い出」あるいは「共通体験」がとくに積極的な価値をもっているとか、かけがえのないものだ、というつもりはありません。ただ、現実として存在していたものを、否定するばかりの物言いしか政治的に、あるいは公共的に存在できない、というのは問題です。「ゼマン」を見たくない、という人の内には、もちろん、当時から虫唾が走る、と感じていた人もいるにはいるでしょうが、他方で、ああいうものを面白がっていた自分の政治性を問われるのはいやだな、というオポルテュニズムを働かせている人も多いに違いない。だから、私的な会話の中では、みな皮肉に「ゼマン」を楽しむことができるのです。チェコテレビの人がどういうつもりで「ゼマン」を復活させたのは定かではありません。もっとも、日本やアメリカのリヴァイヴァルを見ていると、「ゼマン」に自分たちのキッチュなリヴァイヴァルを見るのも不思議ではないでしょう。そのキッチュなリヴァイヴァルを消費することに、「西側」との同時性を見るのなら、何も壁の向こう側だけが、極端な政治性のゆえにその快楽をあきらめるいわれはありません。いいことか、わるいことか、それはぼくにはわかりませんけど。

   こんなことを考え始めたのは、「その後10年」を目前にしたチェコ社会が、偶然にせよ、ちょうど立て続けに冷や水を浴びせられているのを目にしているからです。一つは、EU委員会の「通信簿」、一つは共産党が第一党として踊り出た世論調査の結果、そしてもう一つは、ウースチー・ナド・ラベムでのいわゆる「壁」の問題です。どれもこれも、今に始まった問題ではなくて、それぞれ(季節柄に即していえば)、長いこと菌糸を育てた結果地表に出てきたキノコのようなものです。ちょっと勢いがなくなってきました。また次回、続きを書きます。

琢拝



[前へ] [次へ]