その8(1999年11月8日 長與 → 篠原)
篠原さん
◆10月26日付けのお便り、いつものように面白く拝見しました。ご返事するのが遅れてしまったのは、先月末に4日ほど、合衆国のアイオワ州シーダー・ラピッズという町へ行っていたからです。
◆この町のことはぼくも最近まで知りませんでしたが、かつてはチェコ人農業移民の中心地のひとつで、いまでも街の中にチェック・ヴィレッジと、チェコ・スロヴァキア・ナショナル博物館があります。博物館のホームページ → http://www.ncsml.org
◆この博物館で10月29日と30日に開かれた「スロヴァキア歴史文化会議」Slovak History and Culture Conference に、ストラーリクと一緒に参加したのです。学術的な催しというより、朝日カルチャーセンターとか日本××協会の文化企画を思わせる肩の凝らない雰囲気でしたが、いくつか面白い話が聞けました。
◆順番に挙げてみましょう ―― Mills Kelly (Texas Tech. University), Whose Slovakia? Which Slovakia? The Evolution of Slovak National History ―― いかにも若手の秀才研究者という感じの青年で、内容的にはまあ、現在のスロヴァキアには「インターナショナル」な方向を目指す史学と、「ナショナル」な過去にこだわる史学があるという指摘程度でしたが、パソコンの画像を映写して行う方法が、これからの大学での講義のあり方を示すようで、興味をひかれました。あとのパーティで話したところでは、専門は1918年以後のチェコのナショナリズムのようですが、スロヴァキアにも大きな関心を持っていて、「ヴォイチェフ・トゥカについての研究が出るといいのだが」と玄人っぽいことを言っていました。彼のデータ → http://www.ttu.edu/~history/faculty/kelly.htm
◆ M. Mark Stolarik, The Slovak American Experence: Buliding Communities in the New World ―― ぼくにとっては別に目新しいところはない北米大陸のスロヴァキア系移民史の入門編でしたが、彼は話し方が上手で、ぼくとの個人的な会話のなかでは「ここはチェコスロヴァキア主義者(「民族の裏切り者」といった強いニュアンスが込められています)ばかりだ」とか、ナショナリストとしての本音を漏らすのに、公式の場では「学識豊かでバランスのとれた学者」としての自分をたくみに演出していて、朝日カルチャーセンター的雰囲気の一般聴衆には大受けで、講演が終わったあとの拍手は、ひときわ大きなものでした。
◆第一日の午後に Martin Sulik 監督の映画 Zahrada が上演されました。この映画は数年前の作品で、ぼくはビデオも持っているのですが、謎めいた寓話的なエピソードが延々と続く「玄人」向けの内容で、正直言ってよくわからないところも多かったのですが、今回もう一度観賞して、あとからほかの人たちの感想も聞いたりして、主人公の青年がどうやら現代スロヴァキア人のアレゴリーらしいこと、彼が田舎に帰って出会うさまざまの不思議な出来事は、いずれもスロヴァキア人のアイデンティティに関係しているらしいこと、ナレーションに使われている言葉が西部の方言らしいこと(ぼくは聖書チェコ語かと思っていました)などがわかりました。ストラーリクは「芸術のための芸術で、独りよがりの駄作、それにスロヴァキアをこんな否定的なイメージで描くなんて」と酷評していましたが。
◆Martin Butora (Ambassador of the Slovak Republic), Personal Reflections on the Velvet Revolution ―― ご存じかと思いますが、マルティン・ブートラは VPN 活動家上がりの社会学者、昨年のスロヴァキアでの政権交代後に駐米大使に任命されました。ぼくは彼の奥さん(Zora Butorova)とは以前から面識がありましたが(彼女が世論調査機関 Focus の長を勤めていましたから)、ダンナの方とは今年5月にワシントンでシチェファーニクのシンポジウムがあったときに、はじめて挨拶を交わしました。駐米大使は責任も重く、またプレステージも高いポジションだと思いますが、彼らはいかにも学者あがりらしい素人っぽい雰囲気を漂わせていて、日本風に表現すると「腰が低くて愛想のよい」、好感を抱かせるタイプです(外交官にとって、これは重要な資質でしょうね)。この日はまず大使が10年前の「革命」の意義について話してから、つぎに奥さんが「スロヴァキアにおける女性の地位」について講演し(もちろん二人とも英語で)、あとの質疑応答もそつなくこなして、とても好評でした。ぼくなどは内容よりも、二人の英語運用能力に感心して、講演のほうはまあ前もって準備しておけば、そこそこにいけるにしても、質疑応答はいやでも実力の世界だなあ、などど考えていました。
◇ 付録 ―― アメリカでの講演を成功させる4つの秘訣
(1) 「ネイティヴなみ」、「立て板に水」である必要はありませんが、英語がそれなりに流暢であることはやはり必須条件ですね。学者風の落ちついた話し方が好まれるようで、たしょうの「なまり」は、あったほうがかえって効果的かもしれません。
(2) 夫婦で行動する ―― これはたいへんに得点を稼ぎますが、パーティーではともかく、学会ではむりかな。
(3) 状況を白黒にはっきりと分けて、自分が「白」の側に立っていることをアピールすること。「アメリカ的価値観」の落とし所を心得ておくこと。「グローバリゼーション」か「ナショナル」か、「民主主義」か「ファシズム」か、「自由」か「専制」か、「ハヴェル」か「メチアル」か等々。
(4) できたらユダヤ系であることが望ましい (駐米スロヴァキア大使夫妻は二人ともおそらくユダヤ系)。(エッ、英語も下手でユダヤ系でもない? それならアメリカでの成功は諦めなさい)
◆ところでブートラ大使は講演にはいるまえに短いビデオを披露しましたが、これがなんとまず「あの懐かしい」ハヴェル大統領が出てきて、「11月17日」の意義をひとくさり述べ、次にシュステル大統領がきまり悪そうな笑いを浮かべながら(まあ10年前のあの頃、彼は共産党中央委員会にいたんだからそれも当然)、なにかモゴモゴ言ってから、二人ががっちりと握手。まあこれもアメリカ人向けの演出なんでしょうが、「おいおい、いったいなんのために離婚したんだよ」と言いたくなりました。どうせ握手するなら、ハンガリー大統領としたほうがよほど効果的なはずです。
◆Martin Votruba (University of Pittsburgh), Standardization of Slovak Language and its Political and Cultural Implications ―― ヴォトルバはブラチスラヴァのコメンスキー大学の出身で、現在ピッツバーグ大学のスロヴァキア語担当の責任者。今回はじめて会うことができました。おそらくぼくと同世代なんでしょうが、たいへんに若々しく見える人で、考え方も「リベラル」なので意気投合しました(ちなみに「リベラル」という意味は、「スロヴァキア」にたいして一定の距離を置いているという意味です)。彼のデータ → http://www.pitt.edu/~slavic/
◆博物館についても書いておきましょう。当博物館は1995年に開館。入り口にはクリントン大統領とハヴェル大統領、それにコヴァーチ大統領のサイン・プレートが展示されています(ハヴェルのは例によってハート・マークつき)。博物館の展示部門は、チェコとスロヴァキアの歴史を時代順にわかりやすく面白く示していて、ぼくなどはその「チェコスロヴァキア主義」を懐かしく思いながら、見て回りました。郵便切手を拡大したものを随所で使っていて、おそらく子供たちにも面白く観れるように配慮していましたが、ストラーリクに言わせるとこれは「邪道」なんだそうで、博物館は「オリジナルなもの」を展示しなければならないんだとか。もっともオリジナルな展示品もあって、そのハイライトはシチェファーニクが乗っていた飛行機の残骸の一部(!)、「これ、本物かなあ」としげしげと見ていたら、その解説文で「シチェファーニクの乗った飛行機は、ハンガリーのそれと見誤った兵士たちによって撃墜された」と書いてあったので、これにはのけ反りました。いうまでもありませんが、「事故説と撃墜説があり、撃墜説には過失と故意の両説がある」と表記するのが、まあポリティカルにコレクトなのです。ナショナリストが撃墜説、しかもエドヴァルト・B による故意の撃墜説をほのめかしたがる事情は、よくご存じのところでしょう。この解説文については、お節介ながら博物館の担当者に問題である旨を伝えておきましたので、いずれ差し替えられるかもしれません。博物館の展示は、ゆっくり回っても1時間ほどで見終えれる程度の規模で、最後がアメリカ大陸への移民コーナーになっていました(ストラーリクに言わせると、このコーナーこそが展示の中心にならなければならないとか)。
◆ちなみにここには図書室もあります。書架が10架ほど並んでいるだけのこじんまりした内容で、北米大陸のチェコ系移民の歴史に関心があるのでなければ、あえて特筆するような蔵書はないと思いますが、英語の新刊のなかに次の本を見つけました。―― Derek Sayer, The Seacoasts of Bohemia, Princeton University Press, 1998. じつはアメリカのあるチェコ史研究者から、この本は面白いから読めと言われているのですが、チェコ語からの翻訳のようです。この本についてご存じのことがあればご教示ください。
◆昼休みの空き時間には、近くのチェック・ヴィレッジを散策しました。200メートルほどの通りの両側に、チェコ料理レストランとかボヘミアン・アンティークショップがならんでいる程度のものですが、Novakなどチェコの名字がよく目につきました。アメリカ大陸を訪れる機会があったら、ここに足を延ばすのも一興かもしれません。ちなみにシーダー・ラピッズは、シカゴから飛行機で30分、車だと3、4時間のところにあります。
◆今回の旅行には往復とも飛行機を使いました。行きはオタワからシカゴまで2時間、シカゴからシーダー・ラピッズまで40分程度で、順調な旅でしたが、帰りは濃霧のために離陸が1時間遅れて、シカゴでの乗り継ぎ便に乗り遅れてしまいました。こんなことは北米大陸ではよくあることのようで、サービスカウンターでスピーディーに代理便の手配をしてくれましたが、それにしたがってシカゴからまずニューヨークに飛び(おかげで思いがけず、空から自由の女神像とエリス島博物館を拝むことができました)、そこでオタワ行きに乗り換えて、予定よりも5時間ほど遅れてわが家に帰り着きました。予期しない長旅で肉体的には疲れましたが、反面北米大陸を股に掛けたという心理的な快感がないでもありませんでした。
◆今回は自分のことばかり長々とお喋りして、ディアローグではなくモノローグになってしまいました。ご海容ください。長與拝