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第3章 公使館への陳情(1947年11月−12月)

 役所からの回答を待つあいだにロンドシは11月3日付の手紙で、切符の手配を済ませたことをチュレンに伝えた。---

きょう、あなたと家族の船の切符の代金を支払ったことをお知らせします。・・・イギリスのサウサンプトンからニューヨークまでの汽船と、ニューヨークからカナダのマトバ州ウィニペグまでの列車の旅費は支払い済みです。

 後述の手紙にあるように、代金はロンドシが立て替えた。ところが11月18日になってロンドシは、船の切符を予約したクナード・ホワイト・スター汽船会社ウィニペグ支店から、前日付の通知を受けとったが、そのなかで担当者パターソンはこう書いていた。---

ご記憶のことと思いますが、私はあなたとの話し合いのなかで、わが社がイタリアに居住する非カナダ人への前払い切符の販売を許可されていないとお知らせしました。その理由は、カナダ政府が当該国に移民審査事務所を持っていないからです。

〔イギリスの〕本店のほうでは、私たちを手助けしたいと切望していますが、ひじょうに遺憾なことに、カナダの行政当局と医療当局による審査のために、当該の家族を〔移民審査事務所がある〕パリまで連れてくる責任を負うことはできないと指摘しています。・・・これらの人びとが合法的にイタリアを離れてパリに出頭することができ、またあなたがわが社に、彼らのパリの滞在先の住所を連絡していただければ、証明書をパリに転送して、審査がそこで行われるように主張することができるでしょう。

 ロンドシはすぐさまチュレンに手紙(11月18日付)をしたためた。---

あなたの件について〔汽船〕会社とたいへん密接な連絡を取っています。いま会社から通知を受けとりましたが、あなたの件を処理できない、あなたは自力で家族と一緒にパリに行かなければならない、イタリアでは健康診断を受けることができないと言ってきました。

詳しく説明しなくてもいいように、その通知のコピーを同封して送ります。あなたがパリにおもむくように願っています。彼らの会社に出頭してください。・・・

それから彼らに同封の通知のコピーを見せて、彼らかあなたが、できるだけ早くイギリスの本店に連絡してください。本店はすでにあなたにかんするあらゆる最良の情報を持っていて、予約済みの船の切符があなたを待っています。

 同じ11月18日付でロンドシは、アメリカ合衆国シカゴに住むチュレンの弟シチェファンにも手紙を送った。---

・・・私はあなたのお兄さんと家族のために、イギリスからニューヨークまでの船の切符と、ニューヨークからウィニペグまでの列車の切符の代金を支払いました。自腹を切って 636ドル42セント支払いました。・・・このことは自分の友人にも漏らしませんでしたが、それははじめた仕事をだれかに邪魔されないためです。

 ロンドシは証拠としてシチェファン宛にも、汽船会社からの11月17日付の通知のコピーを同封し、「あなたの手紙から、お兄さんをできるだけ早くこちらに呼ぶために、喜んで旅費を出す用意があることがわかりましたが、私はあえて自腹を切りました。私が善良な人びとと協力していて、自分の金が無駄にならないように希望しています」と書いた。チュレンの旅費を立て替えたので、その分を支払ってくれるように仄めかしたのだろう。

 ロンドシの手紙中にある「あなたの手紙」とは、シチェファンが送ってきた自己紹介の手紙(10月15日消印)を指しているが、そのなかでシチェファンは、「〔兄一家が〕ビザを取得したら、私はすぐに飛行機の切符を送るつもりです。もし私になにかお手伝いできることがありましたら、どうかお知らせください」と書いていた。ちなみに11月18日付のロンドシからの手紙を受けとったシチェファンは、折り返し返事(11月21日付、消印は12月1日)を送り、ロンドシの希望どおりに送金する意志がある旨を伝えている。

 いっぽうチュレンは11月22日頃、イタリア人の友人アルマンド・モラ将軍に伴われて、ローマのイタリア駐在カナダ公使館を訪問した。公使館は開設されたばかりで、ジャン・デジー公使は10月13日に任命されたところだった。チュレンは訪問の結果をロンドシにこう報告している(11月24日付の手紙)。---

つい先ほどカナダ公使館から戻ってきました。友人の将軍と一緒に行ったのですが、彼は公使と懇意なのです。ひじょうに丁重に迎えられました。私たちの件がどうなっているかを説明し、旅費は支払い済みと書かれたあなたのこの前の手紙〔11月3日付の手紙をさす〕を英訳したものを提出しました。移民局からあなた宛に送られた手紙〔9月29日付の通知をさす〕も提出しました。公使は万事問題はないと言いました。彼が言うには、私たちはパリまで行く必要はなく、この件は健康診断とビザも含めて、公使自身が当地で手配できる、ただし入手する必要があるのは ---

  1. 旅費が支払い済みであるという〔汽船〕会社の証明書
  2. カナダ入国を許可するというオタワ〔の本省〕からの証明書

私たちは、関連費用はこちらが負担するから、オタワに電報で〔証明書を〕要請するように頼みました。公使はそのように手配すると約束してくれました。当地のクナード〔汽船会社〕支店には、旅費が支払い済みである旨の証明書を取り寄せるようにすでに依頼しましたが、そちらでも、できるだけ早く事を処理するように注意を促してくださると助かります。公使の言葉によれば、証明書が手に入ったらビザを発行できるので、私たちは12月半ばにはもう出発できるとか。ぜひそう願いたいものです。当地からロンドンまで飛行機で飛んで、そこで最寄りの船便を待って、さあ出発です。私たちはクリスマス前の子供のようにじりじりと待ちかねていて、はやく旅立ちたいと願っています。私たちの乗った船があなたのいる方向に動きだしたら、さぞ安堵できることでしょう。

 チュレンの楽観的な気分は、ロンドシの2通の手紙(11月18日付と11月20日付)と汽船会社の通知(11月17日付け)のコピーを受けとることでさらに強まった。彼は11月27日付の手紙のなかで、「事が早く進めば12月中にもうそちらに行けるでしょうし、ゆっくりだとすると着くのは1月になるでしょう。でも私たちの希望が、今ほどはっきりしたことはありません。万事が手の届くところに来たように感じられます」と書いている。

 しかし公使館に取り寄せを依頼した「カナダ入国を許可するというオタワからの証明書」は、なかなか届かなかった。チュレンは12月3日付のロンドシ宛の手紙の追伸で、こう催促している。---

当地の公使館は、私たちにビザを発行してよいというオタワからの連絡を待っています。公使はすでに電報で依頼してくれたと思います。もし機会があるようでしたら、できるだけ早くこちらに連絡するように注意を促してください。カナダのビザがないと次の措置を取れないのです。

 事態がいっこうに進展しないことに不安を覚えたチュレンは、友人であるモラ将軍の英文の手紙(12月13日付)をロンドシ宛に送った。モラはチュレンに代わって状況を次のように説明している。---

あらゆる可能な方法で事態を促進するために、けさ私はもう一度、デジー公使の代理を務めているカナダ公使館付き〔二等〕書記官〔T・L〕カーター氏と会いました。

  1. 公使館は、クナード〔汽船会社〕支店(ブルック氏)がチュレンに与えた証明書に満足していますから、支払い済みの切符にかんしては万事問題はありません。
  2. カナダ入国許可についてのあなたの手紙が、すでにローマに送られていましたので、カーター氏はそれに注目しました。しかしながら、カナダ公使館はすでに11月22日にオタワ宛に手紙を書いたにもかかわらず、まだ返事を受けとっていません。
  3. 公使館は同じ手紙でカナダ政府に、3通のパスポートにたいして実際にビザを発行 する権限を求めましたが、ふつうそうした仕事が委任される移民担当官は、まだ到着していません。すべての書類が点検済みで問題なしとされているし、公使館にはすでに専属の医師がいて、チュレン一家に求められている健康診断を実施することができるのだから、そうした例外措置は認められるべきというのが公使館の意見です。もし権限が認められないと、しかるべき官庁が当地で2カ月程度でこの仕事を準備するのはできない相談のように見えるとカーター氏は言います。

それゆえもっとも望ましいのは、あなたが個人的にオタワのしかるべき部局に出向いて、公使館の11月22日付の手紙に的確に言及し、できれば海外電報で好意的回答がなされるべきと主張することによって、あなたとヴォレク氏がわれわれの友人〔チュレン一家をさす〕のためにすでになさった素晴らしい仕事を、無事に成就させることです。重要なのは、許可だけでなく権限が公使館に認められることです。これはカーター氏の助言でもあります〔下線は原文のまま〕。


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