いっぽう4月1日付のチュレンの手紙で、ロンドンから「ノー」の回答が返ってきたことを知ったロンドシは、かさねてヘイグ上院議員を訪問して事情を説明した。ヘイグは、チュレンから転送されてきたローマ駐在カナダ移民審査事務所の通知を預かって、翌週に予定していたオタワ上京の際に持参し、着いたら最初にこの件に取り組むことを約束した(4月8日付のロンドシのチュレン宛の手紙)。
さらにロンドシは、5月下旬にカナダ・スロヴァキア人連盟代表団の一員としてオタワに赴いた際、国際難民救済機関の事務所も訪問したが、そこで閲覧した書類ファイルに、コンシタンチーン・チュレンと家族にたいするカナダ入国ビザは、同年3月5日付ですでに発行済みと記入されていることを知った。不審に思ったロンドシはヘイグ上院議員の秘書に面会して(ヘイグはこの時オタワにいなかった)、この件について問い合わせた(同じく6月16日付の手紙)。
ロンドシの依頼を受けたヘイグ上院議員は、鉱山資源省宛に陳情の手紙を書いた。そして7月6日付で、旧知のキンリーサイド同省次官からの返答を受けとった。---
チュレン氏は健康上の理由でビザを拒否されたのですから、あらゆる再検討は医学的見地に立って行われなければなりません。それゆえに移民局長官は専門家の意見を傾聴するために、全ファイルを本省の医学顧問に転送しました。
本来の証明書は厳密なものなので、今のところ私は、申請者〔ヨゼフ・ヴォレクをさす〕にいかなる希望も抱かせることを望みません。ファイルが戻されてきたら、すみやかにお知らせします。あなたの主張を考慮して、医学上の所見が好都合なものであるように心から願っています。
ヘイグはこの手紙のコピーを7月14日付でロンドシ宛に送った。
ロンドシは7月16日午前中に、おなじウィニペグ市内に住む鉱山資源省移民局の局長マンローを訪問した。前日にマンローから呼び出しの電話がかかってきたのである。チュレン宛の手紙(7月15日付)には、両者の話し合いの内容が詳細が記録されている。それにもとづいてロンドシの陳情の様子を再現してみよう。
ロンドシとマンローは1時間以上にわたって、チュレンのカナダ入国問題について話しあった。もちろんローマで実施された健康診断のことも話題にのぼった。---
マンロー --- 「チュレン氏を本当に病弱と認定したわけではありませんが、病歴はあるのですね。ところであなたはどうしてチュレン一家と知り合ったのですか。そしてだれが彼の件を再検討することを助けたのですか」
ロンドシ --- ことの顛末をすべて話す。
マンロー --- 「なるほどよくわかりました。私はヘイグ上院議員を子供の頃から知っていて、いまでは大の親友です。ところであなたはどうして、カナダ国有鉄道(CNR)の入植農業局の要人T・P・デヴリン氏と付き合うようになったのですか」
ロンドシ --- 説明しはじめる。
マンロー ---「それで結構です。お話しになっていることについては、デヴリン氏本人から聞いて知っています。ところであなたは、ヴォレク氏が提出した請願書を支持していますか。チュレン氏が彼の農場で働くという請願書のことです」
ロンドシ --- 「私はチュレン氏の手紙から判断して、彼が農場で働くと確信しています。カナダではだれも面倒を見ないでしょうし、彼は自分自身に責任があります」
マンロー --- 「私の得た情報では、チュレン氏は高学歴のようですね」
ロンドシ --- 「それはほんとうですが、でも彼はスロヴァキアに自分の農場を持っていて、農場の仕事を心得ています」
マンロー --- 「チュレン氏がカナダに入国して、ヴォレク氏の農場で働くことができなかったら、あなたの組織であるカナダ・スロヴァキア人連盟が援助の手を差し伸べると聞きました。チュレン氏は作家で、コミュニズムに反対する良い記事を書けると言うことで。この話はほんとうですか」
ロンドシ --- 「私には、事の重大さからしてだれにも語ってはならない秘密があります。でもいまは政府高官であるあなたと話しているのですから、白状しましょう。私はカナダ連邦警察(RCMP)と密接な関係を持っていて、コミュニストたちがなにを企てているか、さまざまな情報を警察に提供しています。当地にチェコ人の演説家がやって来て、警察が彼の演説の目的をほんとうに知りたければ、私に集会に参加するように頼むのです。チュレン氏は、コミュニストたちがカナダについてなにを書いているかという記事を私に送ってきて、それらの記事はもうとっくに警察当局に提出済みです。それについて知りたかったら、これこれの警官に電話をかけて、ローマのチュレン氏から受けとった記事を、私がほんとうに提出したかどうか訊ねてみてください。私たちの組織はカナダ赤化に反対して活動しています。チュレン氏がヴォレク氏のところで働くことができなかったら、私たちの組織が援助の手を差し伸べます。こうした援助に担保を置くことが必要でしたら、私にはそうする用意があります」
マンロー --- 「お話しくださったことに満足しています。担保は求めません。あなたの活動についてはもう個人的に聞いています。あなたを私に紹介した国家当局の人びとから判断して、あなたの話を本当と認めます。ところでチュレン氏は、アメリカの弟さんのところに行くつもりはないのですか」
ロンドシ --- 「チュレン氏がカナダに来たら、この国の市民になりますよ。彼は学識のある人で、私たちカナダのスロヴァキア人にはそうした人材がいないからです。私たちにとっては、こうした人がカナダに来てくれることがとても必要です。シカゴに住んでいる彼弟は一介の労働者なので、チュレン氏を助けることはできません」
マンロー --- 「ヴォレク氏は、一年前にチュレン氏のためにカナダ入国申請を提出したことに満足していますか」
ロンドシ --- 「ええ。私の言うことが信じられないのでしたら、ヘイグ上院議員に電話してみてください。彼はヴォレク氏をよく知っていて、ヴォレク氏がチュレン氏を待っていることを証明してくれますよ」
マンロー ---「万事本当のことを話してくださってうれしく思います。チュレン氏がカナダでぜひ必要とされているという通知を、オタワに送りましょう。あなたの提案に私も同意します」。言い終わるとマンローはただちに秘書を呼んで、ロンドシの目の前で、チュレンのカナダ入国に同意する旨の手紙を書きとらせた。
ところがロンドシの「腹を割った」陳情と、それを受けたマンローの「太鼓判」のあとで、ヘイグ上院議員は8月9日にオタワの鉱山資源省次官代理R・A・ギブソンから、丁重だが希望を断ち切るような通知(7月30日付)を受けとった。---
〔チュレンの〕ファイルが本省の医学顧問から移民局長官に戻されてきましたが、まことに遺憾ながら、本来の診断が正しいと確認されたことをお伝えしなければなりません。こうした状況下では、チュレン一家にビザを発行するように、ローマの移民担当官に指示を出すことはできません。
疑いなくヴォレク氏はこうした成り行きに落胆なさるでしょうが、移民局はこの件でこれ以上の力添えをすることはできません。
ヘイグは同日付で、「今朝ひじょうに落胆させる手紙を受けとりましたので、それを同封して送ります。この上なにか打てる手があるとは私には思われません」という短いコメントを添えて、ギブソン次官代理からの通知をロンドシに転送した。ロンドシはこの時の様子を、チュレン宛の手紙(8月17日付)のなかでこう報告している。---
〔通知を受けとったとき〕私は血が逆流する思いで、横になって寝入ってしまいました。・・・万事が過ぎるのを待って、私は上院議員の事務所に行きました。彼は在宅していて、こう言いました。--- 『ジョージ〔ユライに対応する英語名〕、こんな下劣な知らせが来て残念だよ』。ロンドシ ---『上院議員さん、私はカナダ西部の〔移民問題〕責任者マンロー氏と重要な相談をしました。7月15日〔7月15日付のチュレン宛の手紙には16日とある〕のことです。この〔鉱山資源省次官代理ギブソンの〕手紙には、イギリスから断固として許可しないという伝言が届いたとあります。7月15日から7月30日までのあいだに、イギリスからのとくに公用の回答が、オタワを経由して届くことはありえないと思います。もしかしたらオタワでは、チェコ人コミュニストのだれかが移民業務を取り仕切っているのではありませんか』。ヘイグは笑ってこう言った。--- 『返事が届くのはもっと後になると私も思うよ。ジョージ、移民局に行って、マンロー氏に直接もう一度訊ねてごらん』。
この日はもう時間が遅かったので、翌朝(8月11日頃)ロンドシはマンローに電話して、午後2時に面会のアポイントメントを取った。訪問すると快く迎えられた。--- ロンドシ ---「お邪魔して恐縮ですが、神経が私を安らがせてくれず、事態を徹底的に知りたいのです」。ロンドシはヘイグ上院議員の場合と同じようにマンローに説明して、オタワから来た7月30日付の通知を手渡した。マンローは目を通すと秘書の一人を呼び、チュレンのファイルを持ってくるように言った。秘書がそうすると、マンローはもう一度、7月15日ロンドシの目の前でオタワ宛に書いた手紙に目を通した。そしてロンドシにこう言った。--- 「あなたがオタワから受けとった通知を、深刻に考えることはありません。この通知は7月30日にオタワで書かれているけれど、私があちらに書いた手紙は7月29日に発送されているから、これは私の手紙にたいする返事じゃない。ロンドシ君、私がオタワに手紙を送ったということは、私自身がこの件についてオタワまで手続きをしに行ったのと同じことです。私が自分の手紙にたいする返事を受けとるまで、落ちついて待っていてください」。
そしてマンローは手紙のコピーをとって、自分が書いた内容を読み上げた。−「ロンドシ氏との特別の相談にしたがって、私はチュレン氏のカナダ渡航を承認します」