1949年5月6日ヘイグ上院議員は、鉱山資源省次官キンリーサイドからの通知(4月30日付)を受けとった。---
1948年7月30日〔鉱山資源省代理次官〕R・A・ギブソン氏が、ヴァチカン市国在住のチェコスロヴァキア難民コンシタンチーン・チュレンと家族のケースについて、チュレン氏がわが国の健康基準を満たせなかったために、伝えられた好意的配慮を適用することができなかったと書いたことをご記憶でしょう。
状況全体を再検討するなかで、チュレン氏の健康状態が指摘されたものより悪化しておらず、チュレン一家が他のすべての点で移民規定を満たすことができるならば、この家族の入国を許可することが決定されたという喜ばしいニュースをお知らせします。彼らのために適切な措置が取られるように、この件にかんする必要な情報が、イタリアのローマにあるわが国の〔移民審査〕事務所に伝達されました。
この家族が入国できる状態になるまでに、あまり時間はかからないだろうと私は確信しています。
この通知を受けとったヘイグは同日付でロンドシに、「親愛なジョージ、今朝オタワから受けとった手紙を同封します。これは朗報のように見えます。ご来訪の際に、この手紙を返してください」と手短に書き送った。
ロンドシは5月8日付の手紙で、チュレンにこう報告している。 ---
今またあなたにどうしても手紙を書かないわけにはいきません。一昨日、上院議員から手紙を受けとりましたが、そのなかで彼は、あなたについての通知が来て、現在はもう万事が軌道に乗っていると書いています。受けとった手紙も送ってきましたが、私が彼の事務所に行くときに持参するように頼んでいます。そこでオタワがあなたをどのように分類しているかを、タイプで打ち直しました。そのコピーをあなたに送ります。そこに書いてあるように、オタワはイタリアの〔移民審査〕事務所に、あなたの健康がこの前の診断の時より悪くなっていなければと通知しました。多言は弄しませんが、この手紙の意味はおわかりと思います。
ロンドシはこの件についてはこれ以上触れていないが、彼の心のなかは、長かった官僚機構との駆け引きに勝利して、所期の目的を達成したという心地よい充実感で満たされていたにちがいない。
チュレンがこの朗報を受けとったのは5月15日頃のようである(ヴヌクの記述によると、チュレンは5月18日にカナダ選抜委員会〔カナダ移民審査事務所のことか?〕からの召喚状を受けとったとある)。その後の事態の展開を、彼は5月22日付の手紙でロンドシにこう報告している。 ---
上院議員が受けとった〔鉱山資源省次官からの〕通知が同封されたあなたの〔5月8日付の〕手紙を落手したその日に、もう領事部から電話があり、同時に書面でも出頭するように言ってきました。私たちが出向くと、ひじょうに愛想が良く好意にあふれていました。私の健康状態が悪化していなければ、ビザを出せると言うのです。私たちはふたたび健康診断に回されました。ナポリに行かなければなりませんでした。そこに国際難民救済機関のキャンプがあって、私たちは3日間滞在しました。最後に診断書を渡されました。それをいま国際難民救済機関に提出しに行くところですが、そこで新しいパスポートを発行してもらわなければなりません。古いパスポートはもう無効だからです。それからまた領事部に行って、そこで事の次第が宣告されます。この手紙を書いている今はまだわかりませんが、でも投函するまえにはおそらく判明するでしょうから、末尾に書き添えます。ビザをくれるのかくれないのか、それとも最初の時と同じように、書類をロンドンに送って、ロンドンからオタワに送ってというお馴染みのコメディーがまたはじまるのか、ほんとうに興味深々です。私が目を通したところでは、おそらく最初の時と同じです。
前年夏の喀血と入院という体験も、楽観をいましめる方向に作用したにちがいない。ところが今度こそ朗報はほんものだった。おなじ手紙の後半は翌23日付になっているが、そこにはこう書かれている。 ---
ちょうど領事部から戻ってきたところです。さて親愛な友人ロンドシさん、あなたは勝利しました。私たちはもうビザを手にしていて、なにか特別な邪魔が入らないかぎり、あなたが願っていたように、私は大会〔ウィニペグで7月25日から28日まで開かれる予定のカナダ・スロヴァキア人連盟第8回大会をさす〕に出席できるでしょう。
1947年6月6日付の手紙でチュレンがロンドシ宛にカナダ渡航の意向を伝えてから、ほぼ2年の歳月が経過していた。念願のビザを手にして、チュレンは大きな安堵感を味わったにちがいないが、それはまた新たな心労のはじまりをも意味していた。同じ手紙の末尾に彼はこう書き添えている。 ---
もっともこれからの私にとって差し迫った心配事になるのは、なにか適当な職場です。『カナダのスロヴァキア人』紙で補助編集者かなにかのポストを考えることができないものでしょうか。もっともそのためには、あなたがほかの人たちと合意しなければならないでしょう。それともきっとなにか別の職でも。あれだけの人たちがそちらに投錨したのですから、私もなんとかなると考えています。